心理士・鈴木孝信の臨床日記

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zoom RSS 息苦しくなったのは暑さのせいじゃなかった?

<<   作成日時 : 2014/07/25 13:48   >>

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炎天下の中、駅から10分程ある場所に歩いていた。
冷房のガンガンきいた車内から出た時の肌に、まとわりつくような蒸気にも感じられる熱。
この暑さで歩けば誰でも汗はかく。
ただ僕は汗が嫌いだった。
もちろん、必要以上の汗も、通常の汗も、運動している時以外は嫌いだった。
だから、暑さ、汗、足の筋肉の動き、肌に滲む蒸れ等に注意が向かないよう、それらとは無関係な身体の部分(指の接触部)に注意を向けながら歩いた。あわよくば「心頭を滅却すれば火もまた涼し」が起こるのではないかともくろんで。
ゆっくりとした歩行。
いつもの半分位の速さだが・・・。
そして気がついたのは、額を流れる汗ではなく、喉の違和感だった。
稀とも言える息苦しさを感じた。
脳神経学では、脳幹の疑核というところが、喉や心臓、肺等につながっており、落ち着いているときは迷走ブレーキが働いていているが、身体が反応すべき状況(運動等)になると、このブレーキが外れて交感神経系が働き、喉や心臓、肺等の活動が強まる(心拍が早くなる等)。
そこで、歩くことに注意を向け、暑さも否定せず、今のありのままの状態を受容し始めた。
すると息苦しさは消え、身体が軽くなったように感じた。
そこで思った。
これが脳の情報処理の働き方なのだと。

現在起きていることから注意をそらすと、そのことが適切に処理されず、おかしな形で心身の症状として現れてくるのではないかと。歩いていることに注意を向けず、別のこと(指の感覚)に注意を向けていたので、適切な心拍の早まりや正しい肺の機能が邪魔されたのではないだろうか。

神経可塑性では、注意を向けた部分の神経の結合が変わったり海馬で神経の新生が起きる。注意を向けた部分(指の感覚)を反映した脳の部分は働くが、注意を向けていない部分(歩く)はあまり働いていなかったのではないだろうか。すると、こう言える。人間は注意を向けたことを主に経験するし、それは現実を歪めた経験にもなるが、やはり現実を処理することは出来ない。

https://www.youtube.com/watch?v=dMwd71GOlaU
(神経可塑性を説明する海外の動画に字幕をつけてご紹介しています)

例えば、走りながら音楽を聴くことがよくあるが、音楽に注意を向けてのめり込んでいると、走った後に異常に疲れが残ることがある。生理学上あまり関係ないのかもしれないし、ただ体力が落ちてきただけかもしれないが。

1つ仮定として、頭に留めておこうと思うことは「注意を向ければ処理が促される。注意を向けなければいくら直面していても処理は進まない」ということだ。


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